【医療行為ができない中で、できること】
気持ちの変化。
緑のセパレーション(カーテンみたいな仕切り)。
私の病院でそれは、「死」を意味する。
朝APCUに通勤すると、また1つ、緑のセパレーションがベッドを取り囲む。
一瞬足が止まり、鳥肌が立つ。
「あぁ…、また小さな命が……」
赴任して3ヶ月、
ここの看護師と同じ白衣を支給されている以上、患者さんからしたら(スワヒリ語が下手くそな)一看護師であり、1人1人の命に責任がある。
もう、ただの部外者ではない。
…と考えすぎると、緑のセパレーションがトラウマ。
出来ることなら見たくなーい。
でも、なんだろう、この落ち着き。
自分の中で、「死」というものが、
最近明らかに近く感じる。
…それとも患者さんに深入りしていないだけ?
そんなの、ヤダヤダ。
今までは、日本で働いていた時は、
ただただ助からなかった目の前の命に悲嘆していた。
多くの命が医療によって、救われていたからこそ、
救われなかった時の代償が大きかった。
最近まで、タンザニアに来てからは、
諦められる命に悲嘆していた。憤慨していた。
でも今は、
潜在的に潜む死の根本的な原因は何か?
タンザニア人にとって「死」って?
子どもの「死」はどう捉える?
エンジェルケアの概念は適応する?
泣き叫ぶママたちへの対応は?
同じような理由で子どもの命を落としてはいけない。
同じような対応でママたちを苦しめてはいけない。
なーーーんて、
客観的に分析している今日この頃。
立ちはだかる医療行為禁止という高すぎる壁。
“わっと きゃん あい どぅぅううう?!?!?!”
患者さんが死にそうな時に、くっちゃべってるだけで、
全く助けようとしなかった看護師を見て、憤りも感じたけど、
きっと助け方を知らないだって思うことにしてた。
だから、
こうやってやるんだよ!!!って見せたかった。
言うは易し、行うは難し。
やって見せないことには信頼も得られない。
どうやって看護師の信頼を得ればいい?
この糸口はどこにあるんやぁぁあーーーー。
って目の前の死を前に考えてたら、
病棟で初めて涙が出た。笑
そしたら
“なんで泣いてるのー?フラハ(恭子)!”
って笑われたから、
“子どもを助けたいって思わないの?”
って聞いた。ら、
“それは難しい質問だねぇ、私たちはお金のために働いているからね!”
って失笑、そして笑う。
………それも、正解なのかもねって思った。
悲しきや。
看護には医学と異なり、正解がない。
国、宗教によって大きく異なると幅広い概念。
やっぱり必要なさそうな私の看護観。
…再び、ちーん。笑
そんな中、久々に“パッチ・アダムス”という映画を見た。
私の看護観に大きく影響を与えた人。
医療行為のできない医学部2年生。
今の私と境遇は一緒。
病院に忍び込み、愛とユーモアで
患者さんをどんどん笑顔にしてしまう天才。
始めは、異端児扱いされていたけど、
患者さんの笑顔は次第に、
病院のスタッフからの信頼へと変わっていく。
講演会に言った時の最期の台詞が忘れられない。
“僕は目の前に薬があっても、そんな薬を使わずに、
何時間でも患者さんの側にいて、愛とユーモアで治療したいんだ”
半信半疑だったパッチさんの信念の大切さを、
証明してくれた患者さんたちがいるじゃないか。
「病は気から」は決して間違っていない。
…これや。
……やっぱり、これやー!!!!!!
何も飾らない、構えない。
ありのままでいること。
それがいつか患者さんの笑顔に繋り、
それがいつかスタッフからの信頼に繋がり、
そしたら、自分の看護に耳を傾けてくれる人が現われるかもしれない。
それがいつかスタッフの行動に繋がり、
それがいつか子どもへの看護へと繋がるかもしれない。
もはや願望ばっかだけど。笑
よし、明日からパッチ・フラハや!
(こっちではフラハ(意味:Happy)と呼ばれています。笑)