【過剰寄付について考える。】
MOTTAINAI
今日、私は一体、何千万円分もの医療物品を破棄しただろうか。
理由は、使用期限切れ。
…これを必要としている患者さんがいるはずなのに。
…誰かの善意で寄付されたものかもしれないのに。
…医療物品は決して安くないのに。
必要としている患者さんがいるものを、
人の善意を、
あんなにも高価なモノを、
この手で大量に捨てなきゃならないのは、心が痛んだ。
日本で働いていた時に使用していたものと同じものが多く、
患者さんに役立つものだって分かっているからこそ、
高価なモノだと分かっているからこそ、
一つ一つ、大切に扱ってきた。
自分のミスで、使用できなくしてしまった時には、
「やっちまったーーーー、ごめんなさい。」
って患者さんに対して、病院に対して、
申し訳ない気持ちにもなった。
けど、倉庫から大量のゴミが出たことに
爆笑するタンザニアの看護師たち。
なんか違うな。
期限切れに繋がる理由は3つ。
その1“Nipe!!(ちょうだい!!)”
もらうこと大好き、タンザニア人ヽ(^o^)丿
とりあえず、もらえるものはもらっておこー!
え、これどうやって使うの?
ん?知らねw
いつか分かるさ、倉庫にしまっておこー!
…って期限切れたぁー!
捨てちまえー!
先進国の人たちが、途上国の現状に同情し、
「途上国支援をしたい!でもどうやって?」って思うことは素敵なことだと思う。
そんな中、自国にいながら割と簡単な支援方法と思われがちなものに、「寄付」がある。
でも、先進国側の情報収集不足から、途上国の人々のニーズに合わない、使用しないもの、使用方法の分からないものを寄付してしまうことが多い。実際、とある研究では、寄付された医療物品の40%は未使用のまま破棄されるとかなんとか。
「寄付」は「プレゼント」とは違う。
「プレゼント」は、相手の喜びそうなものを考えて、選んで、あげるもの。
もらった側は、例えそのプレゼントがあまり欲しくないものだったとしても、相手が選んでくれたっていう事実が嬉しいし、大切にしたいって思うハズ。
「寄付」は、相手の情報収集を行った上で、必要なものを考えて、選んで、あげるもの。
もらった側は、例えその寄付品があまり欲しくないものだったとしたら、誰からもらったかも分からないし、使用方法も分からないし、御倉行き。大切になんてできない。
その2“Wanachukua!!(彼らが盗むから!!)”
捕られることを恐れる、タンザニア人(+_+)
…とりあえず、捕られないように鍵付き倉庫にしまっておこー!
「今」必要としている病棟があるのに、
自分の病棟で壊れた時の代替用にとっておく。
そして、気付いたら期限が切れるっていうオチ。
はぁ。
例えばストーマパウチ5800円/1個。
使用期限切れで100個は捨てた。
私「なんでこれ小児外科にあげなかったの?」
師長「…たまに必要な患者が来るから、取っておいた。」
本当にあること覚えてた?
期限切れる1ヶ月前くらいに譲渡できたんじゃない?
なーんて思ったりもしたけど、
「寄付」は定期的、継続的なものではない。
定期的、継続的に手に入るものであれば、鍵付き倉庫にはしまわれないだろう。
だからこそ、こういう行動をとってしまうのも分からないでもない。
私だって、今日本食をもらったら、誰にも捕られないように、冷蔵庫の奥の方に隠して、気付いたら賞味期限が切れてたなんて話があってもおかしくない。
それならば、定期的、継続的に医療物品が入る流通網の確立の方が大切なのかなって思ったり。
その3“何も悪くないタンザニア人!!”
そもそも、援助でもらった時点で期限が切れていた。
師長が「ワズング(白人)は、アフリカ人なら使用期限が切れたやつを使ってもいいと思って持ってくるんだ。これだって一昨日もらったやつなのに、期限が切れている。大問題だ!いらなくなったものを持ってくる!」と話す。
でも事実、期限切れの医療物品が寄付されていた。ありえない。
海外支援しているっていう肩書が欲しいだけ?
ムッキー。
もらうだけ、もらう。
これが所謂「援助慣れ」かぁ、とひしひし実感。
これらの結果、
モノが壊れたら、修理しないで捨てる
モノがないなら、医療行為はできない、しない
モノはねだり、貰えるまで、待つもの
モノを大切に扱えない
という考え方が根付く。
おぅのー。
人の善意に文句は付けたくないけど、
人の善意がゴミになっているのはもっと嫌。
だから、言いたい。
「寄付」は、簡単にできるようで、
最も難しい援助方法の一つだと思う。
それを理解した上で、援助方法を考えて欲しい。
MOTTAINAI!!
ワンガリ・マータイさんが提唱した世界共通言語をタンザニアでも広めたい。