【医療行為ができない中で、できること】

気持ちの変化。

緑のセパレーション(カーテンみたいな仕切り)。
私の病院でそれは、「死」を意味する。

朝APCUに通勤すると、また1つ、緑のセパレーションがベッドを取り囲む。
一瞬足が止まり、鳥肌が立つ。
「あぁ…、また小さな命が……」

赴任して3ヶ月、
ここの看護師と同じ白衣を支給されている以上、患者さんからしたら(スワヒリ語が下手くそな)一看護師であり、1人1人の命に責任がある。
もう、ただの部外者ではない。

…と考えすぎると、緑のセパレーションがトラウマ。
出来ることなら見たくなーい。

でも、なんだろう、この落ち着き。
自分の中で、「死」というものが、
最近明らかに近く感じる。

…それとも患者さんに深入りしていないだけ?
そんなの、ヤダヤダ。

今までは、日本で働いていた時は、
ただただ助からなかった目の前の命に悲嘆していた。
多くの命が医療によって、救われていたからこそ、
救われなかった時の代償が大きかった。

最近まで、タンザニアに来てからは、
諦められる命に悲嘆していた。憤慨していた。

でも今は、

潜在的に潜む死の根本的な原因は何か?

タンザニア人にとって「死」って?
子どもの「死」はどう捉える?
エンジェルケアの概念は適応する?
泣き叫ぶママたちへの対応は?

同じような理由で子どもの命を落としてはいけない。
同じような対応でママたちを苦しめてはいけない。

なーーーんて、
客観的に分析している今日この頃。

立ちはだかる医療行為禁止という高すぎる壁。
“わっと きゃん あい どぅぅううう?!?!?!”

患者さんが死にそうな時に、くっちゃべってるだけで、
全く助けようとしなかった看護師を見て、憤りも感じたけど、
きっと助け方を知らないだって思うことにしてた。

だから、
こうやってやるんだよ!!!って見せたかった。

言うは易し、行うは難し。
やって見せないことには信頼も得られない。
どうやって看護師の信頼を得ればいい?
この糸口はどこにあるんやぁぁあーーーー。

って目の前の死を前に考えてたら、
病棟で初めて涙が出た。笑

そしたら
“なんで泣いてるのー?フラハ(恭子)!”
って笑われたから、
“子どもを助けたいって思わないの?”
って聞いた。ら、
“それは難しい質問だねぇ、私たちはお金のために働いているからね!”
って失笑、そして笑う。

………それも、正解なのかもねって思った。
悲しきや。

看護には医学と異なり、正解がない。
国、宗教によって大きく異なると幅広い概念。
やっぱり必要なさそうな私の看護観。
…再び、ちーん。笑

そんな中、久々に“パッチ・アダムス”という映画を見た。

f:id:JOCVfuraha:20160808154122j:plain


私の看護観に大きく影響を与えた人。

医療行為のできない医学部2年生。
今の私と境遇は一緒。

病院に忍び込み、愛とユーモアで
患者さんをどんどん笑顔にしてしまう天才。
始めは、異端児扱いされていたけど、
患者さんの笑顔は次第に、
病院のスタッフからの信頼へと変わっていく。

講演会に言った時の最期の台詞が忘れられない。

“僕は目の前に薬があっても、そんな薬を使わずに、
何時間でも患者さんの側にいて、愛とユーモアで治療したいんだ”

半信半疑だったパッチさんの信念の大切さを、
証明してくれた患者さんたちがいるじゃないか。
「病は気から」は決して間違っていない。

…これや。
……やっぱり、これやー!!!!!!

何も飾らない、構えない。
ありのままでいること。
それがいつか患者さんの笑顔に繋り、
それがいつかスタッフからの信頼に繋がり、
そしたら、自分の看護に耳を傾けてくれる人が現われるかもしれない。

それがいつかスタッフの行動に繋がり、
それがいつか子どもへの看護へと繋がるかもしれない。

もはや願望ばっかだけど。笑

よし、明日からパッチ・フラハや!
(こっちではフラハ(意味:Happy)と呼ばれています。笑)

f:id:JOCVfuraha:20160808154143j:plain

【韓国NGO団体から学ぶこと】

 “ジャパニ!”と呼ばれたい。 

Ubungoで活動している韓国NGO団体Dail(http://dailusa.org/en/)のお手伝いへ!

Unicefの吉田先生に連れて行ってもらいました。

 

1988年に創設されたDailは、韓国のSoulを拠点に9ヶ国(中国、ネパール、カンボジア、フィリピン、ベトナム、米国、カナダ、タンザニア、ウガンダ)に展開している慈善団体。タンザニアは2012年にできたばかり。

 

貧しい子どもたちを対象に、

①Feeding(炊き出し)

②Education program(礼儀作法、リーダーシップ、キリスト教精神の指導)

③Healing and Recovery of Individuals(医療へのアクセス向上)

を行っている。

 

ダルエスサラームから車で1時間、

UbungoのMutonganiMecco村に到着。

1日2ドル以下で生活している極貧困地区。

 

都会(?)のダルから、たった1時間、

こんなにも光景・風景が異なるのものか。

 

穴だらけの赤土道路。

今朝は大雨だったから、タイヤがその穴に落ちるたびに、アトラクション。

ブロックを積み重ねたトタン屋根の家、木でできた藁の家。

窓は穴だけ、出入口には大きな布。

自由に解放されて過ごす、牛、ヤギ、鶏、鶏の子。

裸足でキャッキャッ走り回る子ども。

20Lくらいの水を頭に乗せて運ぶママたち。

ゴミを燃やすために穴を掘っている青年。

有刺鉄線に洗濯物がかかっているのが愛らしい。笑 

 

11時半、目的地に到着。

子どもを車で轢いてしまうのではないかと思うくらいの子どもの数。

みんなご飯を求めて長蛇の列を作っている。

 

以下、子どもたちの動き。

列に並ぶ→手を洗う→食事に感謝する→食事を手渡しでもらう→“Asante(ありがとう)”と言う→椅子に座って食べる→手を洗う→帰宅する

 

大量のお米、大量のじゃがいも煮、大量のマハラゲ。

朝7時からDailスタッフと地元ボランティアが一緒に準備したらしい。

お米をよそう担当になった。

でっかいお釜から、ひたすらお米をよそう。

今日も日差しが強くめちゃくちゃ暑い。

真心と汗を込めてよそった。笑(ごめん…

 

最初、お子様ランチみたいに、旗とかつけてあげたいなとか思ったけど、

尋常なない子どもの数。

よそっても、よそっても、子ども!子ども!!子ども!!!

 

“そんなよそったら足りなくなる!まだ外には子どもがいっぱいいるから!”

あきらかに、最初の方の食事より、お米もおかずの量も減っている。笑

ちょっと心苦しくなる。(ごめんね…

 

中には、こっそり2回目の食事をもらっている子もいるそうだ。

でも、そこまでコントロールできない。

 

明らかに栄養失調だろうなっていう子どもはいなかった。

いつもみんな何を食べているんだろう?

結局、この日来た子どもの数、なーんと790人!!!

さすが、合計特殊出生率5 (世界銀行,2013)を上回る国。

 

純粋に素敵な活動だなって思った。

子どもたちがちゃんと列を作ったり、

感謝の気持ちを述べられたり、

みんな笑顔で食事をしたり、

現地の子どもをボランティアスタッフとして教育したり、

(Dailのエプロンをつけることによって自尊心も磨かれると思った!)

何より、NGOのスタッフに懐いている子どもたちを見て…

 

中国企業の進出が激しいタンザニアでは、

どこを歩いても、“チナ!チナ!(中国!)”と呼ばれる。

アフリカ人にとって、「アジア=中国」みたい。

一応訂正する。“チナじゃないよ、ジャパニだよ!”と。

別にチナと言われることに、イライラしない。

けど、少し悲しい気持ちになる。

 

しかし、この村では、“コリア!コリア!”と呼ばれた。

それがなんか少し、羨ましいなって思っちゃった。

ちゃんと愛国心あるんだな、自分って思った。笑

 

タンザニアには、JICAや企業から約200人の日本人がいるけど、

日本からのNGO団体の話は聞いたことがない。

やっぱり遠すぎるのかな…?

 

東南アジアで活躍している同期の写真を見てるだけでも、

アフリカが明らかに世界から遅れをとっているのが分かる。

まだまだ政府による政策が独り歩きしているアフリカでは、

草の根活動が非常に重要だなって常々思う。

 

“途上国を甘やかしているのは先進国”とか“援助慣れ”とか、

ボランティアに対する厳しい意見もたくさんあるけど…

政策、政策ばかり言っている大人たちぃぃいいいいいいい!!!

 

OKY!!((O)お前(K)こっち来て(Y)やってみろや!!)

 

パパに教わった言葉。笑

現地での出来事を本社側が自分事として捉えるグローバルマインドを持つこと。

日系企業のトップの集まりでは、本社と現場の距離感を象徴する合言葉だそうな。

http://www.recruit-ms.co.jp/issue/feature/0000000107/4/

 

実際、現場で目の前でどんどん亡くなっていく子どもの命を見てたら、

そんなこと言ってらんないと思う。

政府の政策を待っている暇なんてないよ!って思っちゃう。

 

「今」なんとかしなきゃいけないよ!

将来のために「今」犠牲にして良い命なんてあっちゃダメだよぅ!

 

だから、私は、JICAの青年海外協力隊事業も素敵な活動だなって思う。

(自分が何かを変えられるとは全く思ってないけど。笑)

その一員になれて、幸せだなとも思う。

 

競争しているわけやないけど、街を歩くたびに、

“ジャパニ!ジャパニ!”って言われる日が来ないかなぁ。

見返りを期待しすぎ?

そしたら、笑顔で“マンボー!(あいさつ)”って応えるのに。笑

 

Unicef吉田先生、Dail責任者Parkさん、貴重な体験をさせて下さって、ありがとうございました!

【学校に行きたいママたち】

若年妊娠。

その理由の一つが、中学校が家から遠すぎること。

 

片道数時間かけて通学している。

しかし、彼女たちの仕事は勉強だけではない。

水を汲みに行ったり、家事をしたり、弟妹の面倒を見なければならない。

 

そんな彼女たちにとって、通学に費やす数時間はもったいない。

でも、学校には行きたい…

 

どうするか?

少女たちはピキピキ(バイクタクシー)を使う。

当然払うお金はない。

代償として、体で払う。

結果、望まない妊娠が発覚する。

もぉー。

 

もう一つの理由。

上記の問題を解決するために作られた“ハズ”の学生寮に、つかさず忍び込む野郎ども。

その中には、無知な少女が承諾しているものもあるだろうけど、学校の先生もいるらしい。

結果、望まない妊娠が発覚する。

くっそー。

 

タンザニアでは44%の少女が19歳までに結婚と妊娠を経験する。

在学中の少女を妊娠さると、禁固30年という法律がある。

結果、「自分は父親ではない」と逃げてしまう。

さらに、妊娠した生徒は強制退学が法律で定められているため、

中絶という危険な選択をすることが極めて多い。

それにより命を落とす少女も少なくない。

なんでだよぉおおおおー。

 

子どもを授かったとしても、知識がない。

その無知さが、子どもの栄養失調、病気に繋がる。

 

……決してママたちのせいだけではない。。。

 

そんな彼女たちを守ろうとしているNGO団体がある。

 

移動図書館を山のてっぺんまで届けよう!というもの。

名は“ウフルー号”、スワヒリ語で“自立”を意味。

あらゆる分野の本を500冊に加え、

性教育に関する本も乗せ、巡回する予定。

 

目的。

望まない妊娠により子どもの未来が奪われる前に、

本と触れ合うことで、夢の実現を後押しする環境を整えること。

 

在学中の大学院の先生がそのNGOに関わっていることもあり、今回はそのウフルー号記念すべきOpening Ceremonyを見学させてもらった。

 

田舎町から、さらに車で1時間弱、ひたすら山道を登った。

どうやら頂上にある小学校で行われるらしい。

車内からは、ところどころで土壁の家の村があり、学校に通うために、毎日この急な坂道を登ってるのかと思うとゾッとした。

昔、戦争やら紛争やらがあった時に、逃げてきて出来た村らしい。

 

到着すると、生徒が物珍しい顔でこっちを見てくる。

きっと色が白い(最近はだいぶ黒いw)人が珍しいのだろう。

 

生徒は歌やダンスを披露、地元民の人は楽器を披露してくれた。

 

先生によって、性教育の絵本が配られ、みんなで朗読した。

「TatunaMbili(少女の望まない妊娠をテーマにした絵本)」

みんな本を大切に持ち、その後も何度も読んでいる姿が印象的だった。

きっと“自分専用の本”なんてもらったことないのかもしれない。

 

「移動図書館にどんな本が欲しい?」

と聞くと、多くの子どもが“教科書”と答えた。

 

タンザニアでは教科書は配布されない。

5~6人で1冊を共有することも珍しくない。

もしかしたら、そもそもどんな絵本や本が存在するのかすら知らないのかもしれない。

 

若年妊娠により、学校に行けなくなった子育て中のママたちのインタビューにも立ちあわせてもらった。

 

それぞれの今後について聞いてみた。

もちろん、みんな、夢があった。

 

“学校に戻りたい”

“看護師になりたい”

“学校の先生になりたい”

“ホテルでサービス業をやりたい”

 

学校に通えていれば、知識があれば、

若年妊娠を未然に防ぐことだって、

夢を叶えることだって出来たかもしれないのに。

悔しい。。。

 

この子たちの学校復帰がこのNGOの次の課題。

 

人が人生で職業として選べるのは、たったひとつ。

「自分はこれが好きだ!」と思い、

「自分はこれを職業としたい!」というものを発見させ、

それが叶えられるような環境を整えること、

それが、ウフルー号の挑戦の主眼なんだろうな。

 

勉強にだけ集中しても良いってとても贅沢なことだ。

1人1冊、家に持ち帰っても良い教科書や本があることは贅沢なことだ。

大学院にまで進学し、今こうして夢を叶えられているのは贅沢すぎることだ。

 

与えられた環境に感謝して、

アフリカの子どもに立ち憚る問題と戦いたい。

小さなことを、大きな愛で。

 

先生、ありがとうございます。後に続きます。

【タンザニア看護師の価値観について考える】

本当にあった。 

5歳未満の子どもが栄養失調で亡くなる世界。

しかも、タンザニアでも最高峰の国立病院で。

 

「栄養失調病棟」

入院患者は皆、クワシオコールかマラスムス。

細い手足で、お腹が異常に出っ張っている、

アフリカの子どもの写真を見たことはないだろうか?

 

…赴任してまだ2週間弱、

すでに7人もの子どもが亡くなった。

 

そして今、自分の中で、

今後2年弱の自分の存在意義の整理が付かないでいる。

焦って付ける必要もないけど。ポレポレ。

 

タンザニアの5歳未満死亡率は、

1990年の167(出生1000対)から、

2013年の52(出生1000対)へと減り、

ミレニアム開発目標を達成した数少ない国である。

 

自分の行く国「すごいな!」って思った。

統計上、大きな進歩があるように見えたから。

 

…でも現場は、この統計結果を疑いたくなるような現実。

 

朝から循環血液量減少性ショックの赤ちゃん。

酸素投与したいのに、酸素ボンベは空。

早急な点滴投与が必要なのに、ラインがない。

モニターがない。小児用血圧計もない。

AEDももちろんない。

輸血をオーダーしても、固まってる。

 

「ない!ない!ない!」の嵐。

 

そうこうしているうちに、呼吸停止。

医師により、心臓マッサージ開始。

 

この緊急事態でも、看護師は動かない。

ぺちゃくちゃ、おしゃべりに夢中。

 

…慌てて、アンビューバッグを取りに行った。

 

心臓マッサージを行う医師1人。

そして、心肺蘇生を知らない研修医1人。

 

「いない!いない!いない!」の嵐。

 

手を差し出すべきか…

自分がやってしまったら、意味がない...?

でも見せることはできる...?

いやいや、そもそも医療行為は禁止だ...

モノが無さすぎて、諦めてるのか?

責任の所在は...?

 

葛藤の末、、、出さなかった。

現場を知ろう。現実を知ろう。

ありのままの医療を知ろう。

 

死亡確認。

悔しかった。「たら、れば」が止まらない。

 

でも、私が助けたところで、

この国の“看護”は変わらない。

そうやって自分に言い聞かせた。

 

医師よりママに死亡宣告。

ママ、崩れ泣く。

そんなママをも放置。

赤ちゃんもそのまま放置。

 

部外者で無知な私が

勝手な行動はしてはいけない。

感情に流されてはいけない。

 

けど、ただただ放置されている

ママと子どもを見るのはストレスだった。

 

人の「死」はきっと宗教特有なものがあるはずだ。

これが当たり前の国なんだ、きっと。

今は、観察しよう。あくまでも客観的に。

 

看護に正解、不正解はない。

国によっても、人によっても異なる。

私は、4年間の臨床経験から、

愛とユーモアで患者さんの側で寄り添う看護がしたいと思った。

患者さんに教わったとっても大切なこと。

そしてそれが私の伝えたいメッセージ。

別に、受け止めて欲しいわけじゃない。

ただ、紹介したいだけ、こんな看護もあるよ!ってね。

 

でも、そんな看護はここにはないし、

もしかしたら必要ないのかもしれない。

 

限られた人的物的資源の中で、

最大限の治療を行うのは思った以上に難しい。

 

日本の最先端医療を見てきた私は、

医療で人が「助かる」可能性を十分に知っている。

だけど、

設備が不十分な医療環境を見てきた看護師は、

医療で人が「助かる」可能性を知らない。

 

そしたら、看護に対する意見が

大きく異なるのも当たり前だろう。

 

でも、気になるな。

タンザニアの看護師にとって、看護ってなんだろう?

人の死ってなんだろう?

 

…今度聞いてみよう。

 

現地の人が求めていること、

私にできること、

少しずつ、考えていこう。

 

私にできることってなんだろうなー…?

 

少しずつ、考えていこう。

自分の存在意義。

 

昨日は閏年。

閏年に亡くなった赤ちゃんの命日は4年に1度かぁ。

考えたことなかったや。

【安全な環境を整える】

スワヒリ語の先生の家でCooking教室~♪ 

ハエだらけの市場で野菜、果物、魚、米を購入。

冷蔵庫なんてあったとしても、いつ停電するか分からないから、買い溜め不可能。

毎日、その日必要な分だけ、お買いもの。

 

近くの小さなお店で水、油を購入。

現地の人も飲料水はなるべく購入。

 

近くの炭屋さんで炭を購入。

タンザニアでは都市部の8割方の家庭が炭コンロを使用しているらしい。

朝から晩までひたすら炭を砕いて売っている。体中まっくろくろ。

 

テクテク歩いていると、村についた。その一角が先生のお家。

多くの家の壁はコンクリート、屋根はトタンで蓋がしてあるだけ。

その蓋も穴だらけ、雨季のことを考えると恐ろしい。

リビングとキッチンと3畳くらいの部屋が二部屋。

トイレは外。穴のみ。

 

うーん…朝から晩まで先生として働いてもこの生活かぁ。

低賃金すぎる。

 

1人の少年がやってきた。

「アイスちょーだい!」

先生は冷凍庫から、ビニール袋に水とオレンジの汁を混ぜて凍らしたものを取り出し渡す。1本、100Tsh(5円)。

アイスを作って売っているらしい。

Azamのアイスは2000Tsh(100円)で高いし、

冷凍庫なんてある家庭の方が少ない。

 

そんなこんなでCooking開始。

その過程で「まじっ?!すごっ!!」って思ったこと4つ。

 

①分別!

調理の前に、買ってきたものを“食べられるもの”“捨てるもの”に分別する。

日本だったら、買ったものは間違いなく食べられるもので、

むしろ食べられないものが入ってたら「異物混入」で返品される。

虫なんて入ってたら、もう大ニュースwww

でも、ここでは、石ころも入ってれば、虫も入ってれば…

売り手が悪者になることはなく、全て自己責任。

米と豆の分別に15分くらい。

ママの大切な1日、24時間のうちの何分がこの不要な工程に費やされているのか。

もっと効率の良い方法がないのかなぁ。

 

②空中包丁サバキ

「野菜切って!」と言われ、地面をまな板変わりに使った私。

それを見た先生、ケタケタ笑って、空中食材さばきを見せてくれる。

…またこれ上手なんだわw

でも、日本のキレッキレな包丁で切ったら、間違いなく手を切ってしまうだろう。

まな板がない文化だと、切れ味の悪い包丁も必要だね。

 

③炭コンロ

高さ30cmくらいの炭コンロに火をつける。

その上にお鍋を置く。とても不安定。

お鍋の中に野菜やらお米を入れて混ぜる。さらに不安定。

火が消えてしまったら、調理終了せざるをえない。

 

f:id:JOCVfuraha:20160808154016j:plain

弱火にしたかったら、一度そのお鍋をどけて、炭を減らす。

強火にしたかったら、一度そのお鍋をどけて、炭を増やす。

火力調節の度に、沸騰した水が入ったお鍋を上げ下げする。

 

毎日そんなことしてたら、年に何回かお鍋をひっくり返したりもするよね。

…火傷もしやすいね。

こないだ会った太ももを火傷したママも、水を沸騰させたお鍋を移そうと思ったら、お鍋の取っ手が壊れて、熱湯を浴びちゃったんだって。

 

私の配属先にも、熱傷病棟がある。

火傷を負った子どもだけのための病棟。

日本じゃ、ありえないけど、タンザニアでは多くの子どもが熱傷で入院している。

火傷の原因は様々だけど、

一番多いのが調理中、目を離した先に子どもが火に触れること。

他にも、共働きの両親はまだ小さい兄姉に弟妹の面倒(食事)を頼むが、その間の熱傷、虐待、ライフスタイルの変化によって今はワンルームで全て生活するようになったから、キッチンと寝るところも一緒になったことなどなど。

 

…NTCのスタッフに言われた言葉を思い出した。

スポーツ大会を開催するにあたり、「開催する側の人間が、怪我をさせない環境を整えなければいけない」と。

 

それってスポーツだけじゃなくて、何に対してもそうで、

「何かをする/作るには、する/作る側の人間が、安全な環境を整える」ってことが大切なんだよね。うちらが安全に普段の暮らしを過ごせるのも、何かを開発する側の人間の安全への配慮によって守られているんだよね。

 

…火傷も負わさないようなシステム作り。

やかんとかお鍋の取っ手の精度だったり、火元の高さだったり。

そういう安全への配慮が必要そうだっ。

 

そんなことを考えながらの調理教室。

完成したタンザニア料理はめっちゃおいしかった。

今度は一人でも作れそうだっ。

先生、貴重な体験をありがとう。

【タンザニアでの教訓と対応】

生きてるよーん!

【タンザニアでの教訓と対応】
①挨拶大好き!ともかく長い!道端歩いてたら、ありとあらゆる人と挨拶して、なかなか目的地に辿りつけない!
→いちいち止まらない
②スワヒリ語をしゃべると喜ぶ。というか、どっちかと言うと「タンザニアにいるならスワヒリ語しゃべれ」っていう圧力w
→スワヒリ語頑張ってるアピール
②Subirikidogo(ちょっと待って)!の“ちょっと”がともかく長い!
→暇つぶし道具常備
③Kesho(明日)までには!は信じてはいけない!
→諦める
③(きっとただ真面目に話してるだけなのに)すごい剣幕に聞こえる…
→慣れろ
④写真参照: 雨がちょっと降るとアスレチックス。そしてみんな喜ぶ。(きっとタンザニア人も暑いのが嫌なのだろう)!
→雨季に入る前に長靴買おう
⑤頑張る人もたくさん!
→見習おう!
⑥ポレポレ(ゆっくりゆっくり)文化は都会にはないかもしれない。
→たまに我に返ってもらおう
⑦マラリアの薬、だりぃ。今日、悪夢見た。
→どうしよう。

【とある1日の日記より抜粋】
5時半起床。緊張して目が覚めた。
そう、今日からみんな各々の赴任地へ一時出発。
いつもと変わらない道。
いつもは誰かしらと一緒だった道を、今日は一人。
あぁ、ついに始まるんだなぁって実感した。
少し淋しく、少し不安。でも、ワクワクの方が強かった。

小1の時にABCも分からないままアメリカに引っ越した時の感情を思い出した。
ともりん(母)に、「とりあえず、あいさつと笑顔だよ!そしたらきっと誰かが助けてくれるから。」って言われたのも思い出した。

いつも通り、道行く人が挨拶してくれる。名前も覚えてくれた。
しかし、長すぎる挨拶、なかなか進まない、初日から遅刻はできないぞ。

8時集合、5分前に到着。NTCタイム!!すばらしい!!
8時にカウンターパートA氏の部屋の前で待っていると、ドアが開いた。
A氏「Ah!! TADA !!!!!!!!!Karibu(どうぞ)!!!!!!」ってにんまり、歓迎してくれた。
とりあえず、スワヒリ語で挨拶、スワヒリ語を勉強したぜ!アピール。
A氏「院長に会わせたいからあっちの部屋でSubirikidogo(ちょっと待ってて)!」と言われ行った部屋には、看護師数名とインターンシップ制数名。
みんな物珍しげにこっちを見る。ちょっと怯む。

笑顔、笑顔。顔ひきつってないかな。
とりあえず挨拶!!!!!!
私「Shikamoo!(目上の人へのあいさつ)」
みんなニヤニヤしてくれた。シャイなのか?w
でもみんな「Karibu(ようこそ)」と優しい。

待つこと2時間半。
A氏「やっぱりまだ着いてないらしいから、病棟に先行こう!」
11時半、小児病棟のボスB氏のもとへ。
挨拶、そして自己紹介、スワヒリ語勉強したアピールAgainww
B氏「FURAHA!! Karibu!! あなたことを教えて、でも今日はユニフォーム着てないから病棟は案内は明日ね。」
私「ユニフォームどこでもらえば…?」って英語で言いかけたら、
B氏の隣の人に「KISWAHILI!!」ってすごい剣幕で言われて(たぶん普通に言ってるだけw)びびって、スワヒリ語でお願いした。そしたら一気に笑顔になった。笑
スワヒリ語パワー、すげぇー。エスタ先生に感謝。でも、そんな言い方しなくたっていーじゃん。

言われるがままに、ついていくと、Fundiによって採寸される。
…採寸?オーダーメイドですか!!!
やったぁああー!!!!!!明日には出来るとか。そしてそこでナースのユニフォーム作ってる人たちがみんなまたいいママさんたちで!!暖かい、「いつでもいらっしゃい、スワヒリ語教えてあげるわ!」って、ありがとう。

再度A氏のもとへ。待つこと1時間。
13時半、A氏「部屋みにいこう!でもまだキッチンが完成されてないんだ、明日にはできるハズ。」
よかった!家できてる!全然いいよ!キッチンなんていらないよ!
…しかし、訪室していると部屋の散乱っぷり、汚ねぇwww
A氏「これは汚いねぇ!キレイにしてもらおう!」
とりあえずキレイにさせるから15時まで待とうと言われて、A氏の部屋に戻る。

A氏は、めっちゃいい人。
常に忙しそう、だけど、スワヒリ語でゆっくり話しかけてくれる。安心。
でも他の人と話す時は、すごい剣幕で怖い!けど、みんな恐れてる雰囲気なく話してるから、こういう話し方をする人なんだろうなと解釈。慣れなきゃwww
でも、看護部長だけあって、院内を歩いていると、ありとあらゆる人が挨拶をしてくる。
そしたら「Nakuwamgeniwangu~♪(今日は私のお客さんがいるの~)」って喜んで紹介してくれた。嬉しいなぁ、もう。
A氏「Subirikidogo(ちょっと待っててね)!」

14時半。おなかへったなー。お昼まだかなー。。。インターンの子が話しかけた。すっごいかわいい。23歳Nっちゃん。助産師になって、教授やりたいんだって!日本語教えてあげたら、めっちゃかわいく言うの。もうー、惚れる。

16時。来ない。A氏、来ないよぉおおおおお!おなかへったよー。仕事を終えた看護師さんがバナナをくれた。
私「Nilikuwanjaa!!(おなかへってたんだー!)」って言ったら、
皆「Pole sana!!(お気の毒に!)」って爆笑された。チャイとパンもくれた。
仕事も終わったからか、みんなお話たくさんしてくれた。

カウンセラーのR氏は、看護師の地位の低さについて憤りを感じていた。日本では看護師の地位は高いと聞いたがどうだ?など。最後には、いつかタンザニアも日本みたいに看護師の地位が高くなればいいな、給料も含めて。と。母性(特にHIV保持者の)のカウンセラーやってるんだって!アフリカならではだね!

腫瘍病棟のL紙は、腫瘍病棟の看護に必要な3つの要素について教えてくれた。
愛、願、強さ。
すっーーーーーーごい、同感できて、そういう日本の看護師と考え方が近い看護師がタンザニアにもいることが嬉しかった。

元ICUのE氏は、今は中央にいて、入院管理や教育に携わってるらしいけど、やっぱり患者の側にいたいって言ってて、それもなんか嬉しかった。Whats upアプリ教えてくれて、帰ったらめっちゃメッセージくれて、「永遠に友達でいてね、君のことすごく好きだよ!」って言ってくれた。涙出るー!ありがとーう!

待っていたら、小児病棟ボスのB氏に遭遇。
私「お仕事お疲れ様です、お家に帰るの?」と聞くと、
B氏「今から大学院の授業。17時~21時まで、MPHが欲しくてね。」

…まじかーーーーーーーーいwwww
ただでさえB氏は仕事忙しそうなのに…
すごいわ。タンザニア人、すごいわ。

17時半。
A氏「わぁ、もうこんな時間。ごめんねー!会議が長引いた!」
…長引きすぎだろーーーいwwww
再度、お部屋へ。

A氏「ほーら、きれいー!どう?あなたのhomeよ!」
お!さっきよりキレイになってる!有難い。
しかし…外より暑くね?あちぃいいいいー!!!
ファンはあるけど、あちぃーよー!!!!
暑いの得意だけど…それにしても暑すぎる。いるの辛いwww

そして、恐る恐る水道の蛇口を捻ってみた。案の定出ない。
ここタンザニアの中心だよねぇ?
…水でなくね?出ないよね?
A氏「え?水でない?なんで?!」
…いやいや、こっちが聞きたいよ。
…って私今日からここに住まなきゃいけないんですけど。
A氏「え?今日から?じゃぁ、今日は水はどこかで買ってきて!Kesho(明日)には出るようにするから!」
…Kesho(明日)ねぇ、ほんとかよ!www
A氏「ちゃんと鍵は絞めて寝るんだよ!」
……はぁw

そんなこんなで解放された一日でした。
待ち時間が長いので、暇つぶしグッズの携帯が必要だ。
タンザニア人はすごいよ、暇疲れってしないのかな?
ポレポレ(ゆっくりゆっくり)文化があって、
みんなただボケーっと何もしないで何時間でも待てるのw
やっぱり日本人はharakaharaka(はやくはやく)文化なのか、
何もしていない時間が嫌なのだろう。

疲れたぁー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でも、疲れは頑張った証拠!
さぁ、明日はどんな一日になるかなー、楽しみだっ♪
ちゃんちゃんっ♪